🌈🏳‍🌈サークルアイス🍨🍦🔥のブログ

フェミニズムとLGBTQ∔のことを考えるサークルアイスによるブログです。

10月企画:「いつかティファニーで朝食を」のりちゃんの考え方の変化(きょん)

注意】

この作品は既に完結していますが(全14巻)、私はまだ10巻までしか読んでいません。本文は全巻読んだ方にとっては不完全なエッセイになっていると思います。そして長い!ご容赦ください。全て読んだらまた続きを書くかもしれません。

 

 

 

 

目次

(1)漫画「いつかティファニーで朝食を」とは

(2)のりちゃんとはどんな人なのか

(3)のりちゃんのコンプレックス

(4)のりちゃんの価値観の変化

(5)批判

 

 

 

(1)漫画「いつかティファニーで朝食を」とは

私は食べることが本当に本当に大好きなので、ご飯系の漫画をよく読みます。というか、そういう漫画しか読んでいません。笑 そんな中で私が一番最初に出会ったのがこの漫画だったと思います。

 

恋愛をしないキャラクターがいないこと、異性愛規範、紹介される時に使う「朝食女子」というワードなど、批判されるべき点がいろいろある作品です。が、今回は敢えてこの漫画を扱ってみました。

 

 

 

この漫画では、高校時代の同級生仲良しアラサー女性4人組が主な登場人物です。アパレル勤務の麻里子(まりちゃん)、バーの雇われ店長の典子(のりちゃん)、ヨガのインストラクターの里沙(リサ)、2人の子供を持つ主婦の栞。この4人が就職、転職、恋愛、婚活、結婚、子育て、留学……などなどを通して変化していく。その中で落ち込んだり悩んだりすることがあっても、美味しい朝食を食べ、「よし、頑張るぞ!」という思いで新しい朝を迎え続ける…

というような内容になってます。毎回主人公がコロコロと変わっていく感じになっていますね。

 

今回は、この4人の中の1人である典子(のりちゃん)について、作中で彼女がどのような変化を遂げていくのかを、ジェンダーの観点から分析していきたいと思います。

 

 

 

 

(2)のりちゃんとはどんな人なのか

(ここからは彼女のことを“のりちゃん“と呼びます。)

のりちゃんは1巻の時点で、バーの雇われ店長として働いています。本来は美容系の仕事をしたくて東京に出たはずなのに、いつの間にかこの仕事をしていたのだそう。そして既婚者であるバーのオーナー(男)と不倫をしていますが、結局彼にとっての一番になることはできません。会えなくてずっと寂しい、でも会えたら嬉しくなってそれが埋まる…というループが嫌で、不倫をやめたいと思っています。

 

そんな時、バーの常連の峰田(男)に好意を寄せられ、「付き合わない?」と告白されますが、峰田に想いを寄せるさやか(女)とのゴタゴタがあり、交際の申し出を断ります。

 

恋愛に疲れ、仕事場にも居づらいしやりがいもない。やりたいことがない。そんなのりちゃんは東京から出て、地元の群馬へと帰ります。

 

そして群馬に帰って自分の部屋を眺めたり、地元の友達と話をしたりする中で、昔の自分がしたかったことを思い出すのりちゃん。学生時代は英語が得意で、海外に行きたいと強く思って勉強していたのです。それを思い出し、今からでも遅くないと思い、30歳を前にしてニューヨークへワーキングホリデーに行くことを決意。実家を手伝いながらお金を貯めます。

 

そして日本を離れ、ニューヨークでの生活がスタート。新しい街、新しい友達に、時々戸惑いながらも、楽しみながら自分の居場所を見つけていきます。

 

ここまでが、10巻のうちに起きたことです。

 

(3)のりちゃんのコンプレックス

この作品の主人公4人の中でのりちゃんは、一番「男性からモテる」存在として描かれています。見た目が「かわいい」、胸が大きい、愛嬌がある、そして男の人を喜ばせる方法を心得ている…とにかく、「女性としての性的魅力」がある、男性から好意を持たれがちなキャラクターです。例えば作中では麻里子に、「のりちゃんはひくてあまただから〜」なんて言われたり、同級生の結婚式では男性に囲まれて談笑し、4人の中で1人だけ結婚式の3次会に行く…ということもあります。

 

しかし、のりちゃん自身、心の中では自分の「性的魅力」ゆえに周囲からの勝手な判断を受けてしまうことに悩んだり、自分には男から評価されることにしか取り柄がないと思い憂鬱になっている描写があります。

 

例えば、こんなモノローグ。

 

 

「若い頃は容姿や男からの評価が基準だったけど

大人になれば関係ない

結婚の有無や社会の立場の方が重要だ

私は人に報告するようなことなんて恋愛以外にない」(7話)

 

仕事や家庭の出来事を楽しそうに話す麻里子たちを見るたび、のりちゃんはこう思うんですね。仕事への熱意もなく、これから若さを失っていく自分に、もう取り柄はないと。

 

 

また高校時代も、もともと国際科から普通科に移ってきたのりちゃん。その理由は、国際科での仲良しグループの友人の彼氏から好意を持たれてしまい、友人関係がこじれてしまったためです。グループの仲間からハブられ、居場所を無くしてしまったんです。

 

また、当初は結婚への憧れもありました。

 

「私は夢が何かあるわけでもないし そこそこ仕事して好きな人と結婚して幸せに暮らせればそれでいいの みんな勝手なイメージ作り上げてるけど 私の理想なんてそんなシンプルなもんなの」(14話)

 

周りは自分の高い性的魅力を評価して、のりちゃんの男性に対する理想が高いのではないかと勝手に詮索する。でものりちゃん自身は結婚して家庭を持って、女としての「シンプルで普通な幸せ」が欲しい、と強く思っていたんですね。

 

ここまでは、自分と周りのギャップであったり、性的魅力に対して否定的な部分のあらわれであると思います。

 

 

 

しかしのりちゃん自身、自分の性的魅力を厄介だと思いつつもそれに縋ってしまうというか、誰かに「かわいい」と言われることを望んでしまう、そうでないと不安になる、そんなところもありました。

 

「30代になって20代では気にならなかったことが急に増えて不安になって…

今まで自分の外見で悩んだことなんて全然なかったのに

今の私は男からどう思われてるのか急に気になりだしたの…

私 今ムショーに男に「かわいい!」って言われたい…っ」(41話)

 

 

自分の性的魅力を男の人に安売りし、相手に流されたままの恋愛の虚しさに気がついたことで、一度自分を見つめ直し、「受け身ではなく、自立した女にならなきゃ」と思ったのりちゃん。その後自分のこと(留学の準備)で手一杯なまま2年間を過ごし、恋愛とは無縁になりました。そしてようやく長年の目標であった留学に出発!となったところで、

・歳をとって「美しく」なくなっていく自分

・自分のやりたいことで手一杯になっている自分

・「性的魅力の安売り」を手放した自分

変わっていく自分を愛してくれる男性が、今後現れなくなってしまうんじゃないか、と恐れてしまうんですね。

 

このように、留学に行くまでののりちゃんは、自分の性的魅力を評価する周りの声に悩んでいる一方で、いざその魅力を手放して自立しようと思うと不安になってしまう、そんなアンビバレントな想いを抱えているのです。

 

 

 

(4)のりちゃんの価値観の変化

いろいろな思いを抱えてニューヨークに留学するのりちゃん。まだ私は途中までしか読んでいませんが、ここで彼女は大きく変わったと私は思います。

 

ニューヨークに着き、タクシーでゲストハウスへ向かう。電車に乗ってレストランに行く。憧れていたタイムズスクエアに行く。橋の上から綺麗な夜景を見る……たくさんの「生まれて初めての大冒険」を経験する中で、自分だけの宝物がどんどん生まれていくのりちゃん。こんなことを思います。

 

「自分には何もないと思ってた

…でもそれでよかったかも

さびしがってくれる男も失いたくない仕事もなくてよかった

NYとおもいっきり恋ができるじゃん」(話)

 

自分のいるニューヨークを、自分だけの、大切な宝物だと思うようになったんですね。

 

また、しばらくして友人・理沙の結婚式で日本に戻った際、

「のりちゃんは(地元の群馬から)東京行ってたから若々しいし羨ましいけど、いつまでもフラフラしてるのは考えが甘いよね 将来どうすんのかな」

と友達が言っているのを盗み聞いてしまいます。

 

それを聞いたのりちゃん、自分の結婚についてこんなことを思います。

 

「私 まだそっち(結婚してる側)行きたくないの

やりたいことあるのにあきらめたくないの

世の中には 30歳越えると色んなものから解放されて楽になるっていう人と

仕事も家庭も責任が伴ってくるから地に足をつけてしっかりしなきゃという人も(いる)

 

私は

常に今が一番楽しいって思える人生を生きたい」(48話)

 

かつては結婚願望が強く、とりあえず安定を望んでいたのりちゃん。でも、その考え方が変わってきています。ニューヨークを好きになり、自立する楽しさを知ったから。

 

また、この作品のニューヨークには(実際はどうか知りませんが)のりちゃんの見た目をジャッジする人が現れません。性的魅力による勝手な周囲のイメージから解放されたことは、のりちゃんにとって大きいのではないかと思います。

 

「私は日本にいて とても生きづらかったんだなってこと

いつもどこか否定されながら生きてる気持ちだった

家族はいないし 友達はまだ少ない

NYのドアはどこも重たくて

誰かに助けてもらいたい時もある

だけど そう思いながら自分でドアを開けるのを

心地よく感じてるの」(48話)

 

1巻のころと比べると別人のようだなと思います。こうしてのりちゃんの価値観が作品を通してどんどん変化していくのが、私はとても楽しいんです。

 

 

 

(5)批判

ここまでは、かなり物語の紹介に偏ってしまいました。ここからは私の思うことを書きます。

 

初期ののりちゃんの、若さや性的魅力に対する執着やしがらみは、とてもリアルなところがあるのかなと思います。「自立した女なんて男から求められないぞ!」とクソジジイから言われるシーンもあって、やっぱりリアルだなと思います。

 

そういうキャラクターののりちゃんの価値観がこうしてどんどん変化するからこそ、読者に対して「結婚だけが幸せ?」「男から評価されることを最重要事項にしなくていい」「好きなことを大事にしてね」と、この作品が教えてくれているような気がするのです。結婚や出産や子育てが幸せだと感じるキャラクター(里沙と栞)がいる中で、のりちゃんがこうした変化をしていくことに大きな意味があると思っています。

 

これによってエンパワーメントされる女性たちだったり、この作品を「女性を応援する漫画」として形容することだったりも、わからなくはありません。

 

でも、その一方で、のりちゃんがかなり友人や家族、経済的な面で恵まれていて、だからこそ考えを変えて一歩進むことができた、というのは否めません。彼女には地元群馬から東京の大学(短大と言っているので私立の可能性が高い)に出ることができ、仕事を辞めても母親が経営する会社という受け皿があったり、なんやかんやで恵まれている。誰でもこうなれるわけではないと思います。お金がなくてどうしようもなくて、自分の性的魅力を他人に消費され、周囲に好き勝手言われるままにしか生きていけない人もいるのですから。

 

また物語の話に戻ってしまいますが、のりちゃんがコンパニオンとして働いていた時、一緒に働く女性たちものりちゃんも、おじさんだらけの宴会でお酒を注いでセクハラをされて、うんざりしています。そしてのりちゃんが彼女たちに、「なんでコンパニオンやってるの?」と質問するシーンがあります。彼女たちは「ネイルの専門学校に行きたくて学費を貯めるため」「夫の借金返してからじゃないと離婚できないから」「母子家庭で昼間もバイトしてるけど、息子を高校出すには足りないから」とそれぞれ答えます。皆それぞれかなり大変な理由だと思います。でものりちゃんはそれに対して、最後は「みんな夢があるんだね〜」と言って終わってしまうし、ナレーションも「田舎にもドラマが溢れてる」って感じで終わります。

 

これはのりちゃんの価値観であり作者の価値観であると思っています。この漫画では経済的な面や、男性からの抑圧によって生活が苦しい人を、ほとんど出さず、出してもこのようにお飾りのようになってしまっています。のりちゃん自身、自分が恵まれていることに気がついている様子はありません。誰もがこんなふうにはなれない。この作品はかなりマジョリティ寄りの漫画で、「都合のいい」ものになっており、疎外される女性の存在を無視できません。

 

 

 

私はこの漫画がこれはこれとして好きなのですが、大人の女性を描く漫画でこういったもの、つまり経済的にも人間関係的にも恵まれており、自己実現が叶っている女性だけが登場する作品が、持て囃され、「これが女性のエンパワーメント!」と全ての女性を一括りにするような、そんな風潮が危険であるということには、注意を向けなければならないといけないと思いました。

 

 

 

 

 

【参考文献】

 

マキヒロチ「いつかティファニーで朝食を」新潮社