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フェミニズムとLGBTQ∔のことを考えるサークルアイスによるブログです。

10月企画:女同士の連帯と自己犠牲–「魔法少女まどか☆マギカ」(文乃)

 

筆者:文乃

注意:このエッセイは2011年に放送されたテレビアニメ「魔法少女まどかマギカ」のネタバレを大いに含みます。

まどマギのあらすじ


主人公であるまどかは、ある日目の前に現れたキュウべえという謎の生き物を助けたことをきっかけに、キュウべえから「僕と契約して魔法少女になってよ」と勧誘を受ける。
魔法少女は、この世の事故や事件といった災厄を生み出す存在である「魔女」を倒して人助けをする存在だ。魔法少女になれば、魔女と戦う役目を負う代わりに、あり得ない事でもなんでも1つ願い事を叶えることが出来るのだとキュウべえは言う。
そしてキュウべえが言うにはまどかは「途方も無い潜在能力を持っていて、魔法少女の資質は十分」らしい。
まどかのクラスに転校生してきた魔法少女である(そしてキュウべえを狙っている)ほむらには「今の生活を大切にしたいのなら魔法少女にはなるな」と警告されていたが、「なんでも願いを叶える」という言葉に誘われてまどかの友人であるさやかは魔法少女になってしまう。

魔法少女になった少女は「ソウルジェム」と呼ばれる物体を手にする。

話が進むにつれ明らかにされるのだが、ソウルジェムとは魂の入れ物で、いわばそれが魔法少女の本体なのだった。
契約と同時に魔法少女の魂は身体から抜き出されてソウルジェムに入れられる。つまり、魔法少女になった少女たちは、その願いのために魂を捧げなければならないのだ。
そして、身体が何度壊されたとしても、魂の入れ物であるソウルジェムが破壊されない限りは勿論死ぬことが出来ない。

そして、ソウルジェムはただ生きているだけで穢れを溜め込んでしまい、その穢れを浄化するのに魔女を倒したときに手に入る「グリーフシード」が必要なのだが、穢れを溜め込みすぎると自らも魔女になってしまう。つまり、魔法少女になった少女は、魔女になるか、魔女と戦って死ぬかいずれかの終わり方しかできないのだ。

ほとんどの少女は魔法少女になった後でその事実を知るか、事実に気付かないまま消えていくことになる。

様々なアクシデントを通して魔法少女の真実と搾取の構造について知っていきながら、まどかは最強の魔女「ワルプルギスの夜」を乗り越えるために、また、それを一人で乗り越えようとするほむらを助けるために魔法少女になろうとする。

作中での搾取構造に見るフェミニズム

私は友達に教えられてこのアニメを知ったのだが。まどマギフェミニズム的読みが十分に出来る物語なのではないかと、個人的に思っている。

まどマギは、ポストフェミニズム文化下で「最強のアクター」とされている思春期の少女が、装飾的な衣装に変身して魔法少女として戦う話だ。
魔法少女が労働力として消費され搾取されて、再生できなくなってしまい「用済み」とされた末に、災厄を生むとされる魔女になってしまうという設定も興味深い。
男社会の男性からすれば、少女は御しやすく騙しやすい(まどマギの作中でもキュウべえは少女たちに大事なことを一切言わずに「騙して」自分と契約させている)。そして、そういった搾取を一身に受けて、(学んで大人になることで)もうこれ以上搾取が出来なくなった元少女は自分の手に負えず、恐ろしい存在なので「魔女」として遠ざけるわけだ。
という読みができ、この設定は現実世界の社会構造ともリンクしていると解釈できる。

また、魔女と魔法少女が戦わされる。男社会に都合のいいように仕立て上げ洗脳した(もしくは騙した)少女と、自分に都合の悪くなった元少女とを戦わせる。そして、両者がぶつかる原因を作ったキュウべえ自身は何の被害も受けずにその恩恵ばかりを受けて静観している。
この状況も、現実にリンクしていると考えられる。
物語の中では一切手を汚さないキュウべえの悪辣さが徐々に明かされ非難されていく過程で、本来戦わざるを得ない状況を作っている側のキュウべえ、すなわち社会的強者側が透明化され、女同士、社会的な弱者同士が戦わされる。そのことが批判的に描かれている。

まどかとほむらの連帯

そのまどマギの物語の中でも私が着目したいのは、まどかとほむらだ。

主人公のまどかは愚かで優しいヒロインだ。彼女は魔法少女になる時に願い事を「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい」としたことで、魔法少女と魔女が戦わされる構造そのものを変えた。しかしその一方で、願いを叶えるために時空を超えることになり(過去も未来も関係なく全ての魔女を消す存在になるので)、彼女自身は人の形を失い概念そのものになってしまう。
まどかは、特に得意なものがなくて何者にも慣れない自分が嫌で、自己実現のために自分を差し出す。本人自体はそれに満足しているし悪いこととは思っていないが、究極の自己犠牲をしている。

そしてそんなまどかに恋をして、生きて欲しいと思っているのがほむらだ。

ほむらは時間遡行ができる魔法少女だ。
魔法少女の存在を知った当初は、キュウべえと契約をしないまま、まどかや他の魔法少女たちと行動を共にしていたが、ワルプルギスの夜に魔女に敗れ死んでしまったまどかを前に魔法少女になる。
「まどかとの出会いを最初からやり直したい」「まどかに守られる自分じゃ無くて、まどかを守る自分になりたい」と願い、まどかと共に生きるためにキュウべえと契約したのだ。
まどかのために魂を投げ打ち魔法少女となり、まどかが救われる未来を掴むために、時間遡行の能力を手に入れた彼女はまどかと出会ってからワルプルギスの夜が来るまでの一ヶ月間を何度も繰り返していた。元はおどおどしていて臆病で守られる側だった彼女が、何度も時を巻き戻して、まどかを守るために強くなって堂々とした人間に変貌を遂げた。
その忍耐力とストイックさがすごいと思うし、物語の中で「ほむらはレズビアンだ」と明らかに明文化されることは無いけれど、私は逆にほむらがまどかに恋をしていない理由を探す方が難しいと思っている。

ほむらとまどかは、ほとんどの魔法少女が「主体的に」搾取されることを選んで、その結果そのまま死ぬことになる中では異例の、搾取の構造ごと変えてしまったキャラだ。

さやかは惚れた男のために搾取されることを選択した結果搾取に絶望した末に自分が魔女になってしまうし、マミは搾取に押しつぶされた結果そのまま死んでしまう。ほむらやまどかのように抗う余地すら与えられないまま彼女たちは消える。
逆にほむらとまどかが世界を変えることが出来たのは、ほむらが女に人生を賭けたからだと私は思っている。
ほむらがまどかに恋をして、彼女と一緒に生きたいという希望を捨てないでいることによって彼女は魔女にならずに生き延びたし、その祈りを受け取ったまどかは世界を変えることになった。

男たちによって対立させられ、戦わされる運命にあったはずの女同士の連帯が、この物語の中で世界を動かしたのだ。

まどかは「究極のフェミニスト」?

まどマギ女同士の連帯で世界を変えつつも、まだ自己犠牲しか選択肢が無くて消えてしまう女の話なのだと思う。
少女革命ウテナ」然りまどマギ然り、どうして私が知っているフェミな作品は髪の毛がピンク色の主人公が世界から消滅して自己犠牲と引き換えに周りの人間や世界を救う結末になってしまうのだろう?

私は自己犠牲なんてクソだと思いつつも、そうせざるを得ない状況に追い込まれているキャラクターたちをシニカルに描いているこの作品が私は好きだ。
でも、出来ることならば自己犠牲しないで、自分自身も幸せになれる革命する主人公の物語がみたいと思う。私は自分が生きている性差別社会が嫌で、男女二元論が嫌で、ホモフォビアが嫌で、沢山変えようと訴えたいことがあるのに、そうやって実際に変えたら自分が消えてしまうなんて、なんて悲しい結末なんだと思うから。
まどかを究極のフェミニストだと言う人もいるという話を耳にしたことがある。でも、自分自身の人生が失われてしまうのなら不完全だと私は思ってしまう。

そう考えていると、世界を救いながらも自分の生活も幸せにしたキャラクターを思い出す。
英語圏のアニメで「シーラとプリンセス騎士」という作品だ。主人公は世界を救う救世主としてある日選ばれてしまい、その為に自分の欲望に蓋をして努力してきた。戦いの終盤で自分を犠牲にするか世界を救うかという2択を選ぶことになってしまい、一度は自己犠牲の道を選ぶのだが、最後には主人公と主人公のライバルであり親友であり恋愛の相手であるパートナーとで愛の力で乗り越えて、主人公は消滅せずにハッピーエンドで終わる。

私は女性の主人公が世界を救っても消滅しないフェミニズム的な話をこれしか知らない。
できることならこれからもっと増えて欲しいと願う。
まどかとほむらが離れ離れになって片方が消滅しなくても良いように。