🌈🏳‍🌈サークルアイス🍨🍦🔥のブログ

フェミニズムとLGBTQ∔のことを考えるサークルアイスによるブログです。

座談会企画:『花束みたいな恋をした』をフェミニズム視点から喋ってみる(後編)

今回は後編です。前編はこちらをご覧ください。

 

☆参加したメンバー

【文乃】就活が終わったけど今度は卒論に苦しむ大学4年生。最近部屋にミラーボールが欲しい。

【きょん】ことし社会人になったが、職場のジェンダー観と雰囲気が自分に全く合わず困っている。Lalineが大好き。

【sun】就活の不条理さに悩む大学3年生。最近好きな食べ物はたまごサンド。

 

マッチョな世界に行ってしまった麦くん

きょん:絹ちゃんも麦くんも最初は女女男男してない。マッチョな世界に順応しちゃったのが麦くんの方なんだよね。

sun:私、麦くんが途中で結婚にいきなりこだわりだす辺りにそれがすごく現れてるなって思ってて。この作品だと麦くんの「有害な男らしさ」的な要素を特に強調したり、批判したりっていうことはしてないと思うんですけど、でも、なんかそこ(結婚)にこだわり出すのって「会社の同僚が結婚したんだよね」みたいなセリフを出してくるあたりなんかもう、「早く結婚しないと一人前の男として認められなくて出世もできない」的な昭和な価値観の流れにあるよなあ、って。

文乃:なんかさ、大学生の時の麦くんは絶対そんなこと言わなかったんだよ。それが会社に入ってすごい男男した環境に揉まれたことで男男としてしまい、そういうことになってるわけでしょ、つらいよね。

きょん:話が進むにつれて、麦くんって「責任」って言葉をすごい使うようになるよね。でも自分自身に言い聞かせてるみたいなところがあるじゃない。「生きるっていうのは責任だよ」とか。それも最初の頃には絶対なかった価値観で、職場も男の人ばっかりだったし(それが関係してるのかなと思った)。

文乃:そうだよね。男らしさの弊害だよね。

sun:そうやって過剰適応しないと生き残れないっていうことなんですかね。

きょん:元々そういう人じゃなかったからこそ、余計にそうなのかもしれないよね。

文乃:馴染もうとした結果、やりすぎちゃったみたいな。そういう気はあるよね。

きょん:そうじゃないかなあ、そうやってやっていった結果、もう跡形もなくなっちゃった。「マッチョな世界と麦くん」っていう視点で行くと、二人の違いである「家」も関係しているかなって思ったの。絹ちゃん家はご両親ともに広告代理店で二人ともバリバリ働いている感じだったよね。でも、麦くんは田舎から出てきてて、わざわざやってきたお父さんに「(地元の誇りである)花火をやれよ」って言われる。

sun:あれは家業なんですかね。

文乃:家業だねえ。なんか「継がないなら仕送りやらない」とか言われてるもんね。

きょん:言ってたね。

文乃:そっか、それも結構あるにはあるのかもって思ってて。麦くんのお母さんはきっと働いて無いんだよね。

きょん:どうなんだろうね。わかんないけど。

sun:全然出てこなかったですよね。

文乃:出てこなかったから想像するしかないんだけど、多分絹ちゃんのお母さんほどバリバリしてないんだよね。

sun:なんかバリバリしてたら出てきそうな気がする。

文乃:そうだよね。だからさらっと麦くんから「養ってあげるよ」とか、そういう言葉が出てくるんだよね。

きょん:そうかもね……。

sun:ぎょっとした場面でした……。

きょん:心臓ドキってなる……。

文乃:だよね、やばいよね。

 

好きなことを仕事にして何が悪いの?

きょん:あの喧嘩のシーン、頭痛くなってくる。「働かないでずっと好きなことをしてればいいじゃん」っていうところ、もう投げやりだよね、麦くん。

sun:その仕事への価値観の衝突みたいなところは、めちゃくちゃ刺さりました。私は最近就活やっていく中で、どちらかというと中小でも不安定でもいいので、好きな事に関わって生きていたいなって考えてたので。でも現実の社会では絶対に後半の麦くんみたいな価値観の方が支配的だよなっていう事はわかるんです。だから観ていてちょっと気が重くなってしまったところではあったんですけど。

でも、そんな麦くんから色々言われても絹ちゃんの選択は(好きなことに関わりたいっていうところから)最後までぶれないでいてくれたっていうのが、個人的に私はすごく嬉しかったです。

きょん:(安定を大切にする価値観の方が)支配的っていうのは今sunちゃんも言ったけど、本当にそうだよね。聞いててはっとした。なんか「仕事を好きなことをしてたいっていうのは甘えで、苦しくても身を粉にして責任もって働く」っていう人の方が偉いみたいな、そういう価値観が主流。楽しく働こうとする人間のことを、すごいバカにする、下に見る風潮あるよね。

文乃:あるねえ。

sun:あ、「お花畑かよ」みたいな?

きょん:そうそうそう、「好きなことだけでやってけるわけないじゃん」みたいな。言われるよね。 

sun:私も実際そう思わされてしまいそうになりますもん、実際。嫌ですけど。

きょん:それに、最後の方ってもはや喧嘩とかじゃなくて、麦くんが見下してたじゃん。対等な会話って感じじゃなかった。

文乃:いや、本当そうなの!麦くん、見下しすぎ。麦くんが一方的に絹ちゃんのこと馬鹿にしてるの。

きょん:そう、そうなの。

文乃:なんかねえ、だってさ、最後のほうで猫をどっちが引き取るかをじゃんけんで決めたじゃない。でさあ、麦くんが(「紙が石に勝つなんておかしい」って子どもの時からずっと思っていたのに、グーに対してパーを出すっていうやり方で)勝つじゃん、それに絹ちゃんが不満げに「なんで」って言ったら、「大人だから」っていうの。大人だからって何???

「自分が大人になって、絹ちゃんは大人になれなかったんだ」っていうことをそこで言ってるじゃないですか。冗談めかして。だからそれですごく見下してるなって思った。

きょん:そうなんだよね。いわゆる「大人」、括弧付きの大人になれていない絹ちゃんをすごい見下してるっていうか。そういう雰囲気が、特に後半はあったね。最初はそんなんじゃなかったのに。労働は人を変える……。

文乃:なんか実際どうなんだろうね。絹ちゃんはあれで将来、一人で生きていけるのかな?

きょん:生きていて欲しい。……けどどうなんだろう?

文乃:あのシーンの前で麦くんが言ってたような「養ってあげるから好きなことやれば?結婚しよ?」みたいな展開になってしまう将来が待ってたらすごく嫌だなと思ってしまう。絹ちゃんは好きなことを追いかけて、低賃金で働くことに決めたじゃないですか。収入があまり安定していない状態で、それで将来も、自立して生きていけるのだろうかって現実的な心配をしてしまう。経済的にね、自立してほしいなあ。もしそれができなかったら麦くんが言ったみたいな大人になっちゃうわけでしょう。

きょん:そうね。

sun:私は結構、絹ちゃんが新しい職場で好意的に見てもらってる感じとかからみて、契約社員でうまくやっていって将来的には正社員に、みたいな流れも全然あるのかなって思ってます。友達の紹介で好きな仕事に就くっていうのができたりする辺り、人脈作る能力とかもありそうな感じがしましたし。
文乃:うん。だと、いいよね、本当に。映画では描かれてないから想像するしかないんだけど。

sun:私は希望を持っていたい気持ちが強いのかもしれないですけど。楽観的というか、願望もあるかも。

文乃:私もその願望を持っていたいわ。 

きょん:どうなんだろうね?でも、正社員じゃなくて契約社員っていうのもまたリアルなのかなって思う。あのまま契約社員だと、食べていけても心許なさはあるのかな?正社員登用、あると安心だよね。

 

資本主義・自己啓発・セルフケア

きょん:あとは、娯楽がなくなった生活って怖いなって思った。もうパズドラしかできない。もう何も頭に入ってこないって…あれ怖いよね、

sun:あと、本棚に自己啓発が増えてくのもホラーでした。

文乃:でもね、書店だと自己啓発本が一番よく売れがちなんだよね……店舗にもよるだろうけどさ。

きょん:あ、そうなんだ……。

sun:ですよね。はい。

きょん:みんな自己を啓発したいんだ……。

sun:なんで教養とか、そういう一番資本主義的な価値観から距離を取った聖域であってほしいところが、どんどん今侵食されてるんだろうっていう。そういうしんどさをめちゃくちゃ感じてしまう。

文乃:自己啓発、資本主義の中で読んですぐ使えるものって感じだよね。

sun:なんでなんだろうな?資本主義社会からくる時間のなさに流されてしまうと、そういうコンテンツが一番最善の手段に見えてしまうとかってことなのかなって思うんですけど。きょん:時間もないけど、「成長」はしなきゃいけないっていうことだよね。

sun:その辺りにいわゆる「ファスト教養」とかの需要が出てきてしまうんですよね。

きょん:そのためにあるよね。

文乃:そっか、麦くんは資本主義にやられて、で、自分の時間がなくなってるからあんなにしんどいんだな。パズドラしかできないぐらいに疲れているけど、自分を労ることもできないみたいな。

きょん:会社のこと、仕事のことしか考えられないんだよね。何してても。

sun:自分をいたわるのが当たり前みたいな価値観を内面化できているかどうかっていうのも、結構性差ありますよね。

きょん:めっちゃあるよね。

sun:そこもやっぱり映画内では強調されてはいなかったですけど、私はすごい、大きいような気がしましたね。

文乃:でかいと思う。だってもう男らしさこじらせちゃったらさあ「もう男らしさを拗らせた自分を労ってくれるのは妻しかいない!」、みたいなそんな感じじゃん。

きょん:わあ。それを女に押しつけてるわけだね。

文乃:もう自分ですら自分を助けてあげれないみたいな。つらいよね。

きょん:休むのは甘えみたいなね。なるほどね。…ゴールデンカムイ読めないわそりゃ。

sun:なんかあと、女性向けの「自分へのご褒美」みたいないろいろが結構ネットのホモソ文化とかで馬鹿にされているのを見かけたりするので。「ご褒美w」みたいな。

きょん:ああ……。

文乃:でもさ〜めっちゃセルフケアって大事だよね。ホモソ文化はそういうのを「ダサい」って言って遠ざけたがる傾向にあると思うんだけど、なんかねえ。スイーツとか日傘とかもさ、最初めっちゃバカにしながら、後からやっぱりスイーツ男子とか日傘男子とか言い始めるわけじゃん。結局羨ましいんだと思う。だから普通に自分たちもやれば、受け入れれば最初から楽なのにって超思いますね。

きょん:なんか意固地になってるよね。

文乃:そうだよね。変な意地を張ってるっていうか。

sun:うん、そうですね。

文乃:もう結構話できたから、座談会はこれぐらいにしましょうか?

きょん:そうしよっか~

一同:ありがとうございました。

座談会企画:『花束みたいな恋をした』をフェミニズム視点から喋ってみる(前編)

11月は土井裕泰監督・坂元裕二脚本の『花束みたいな恋をした』を各自で鑑賞し、作品について語り合う会を開催しました。今回はその様子の一部をお届けします。

 

『花束みたいな恋をした』あらすじ:

ある晩、終電に乗り遅れた大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は、東京・京王線の明大前駅で偶然出会う。お互いに映画や音楽の趣味がよく似ていたこともあり、瞬く間に恋に落ちた二人は大学卒業後、フリーターとして働きながら同居を始める。ずっと一緒にいたいと願う麦と絹は、今の生活を維持することを目標に、就職活動を続ける。(シネマトゥデイより)

 

☆参加したメンバー

【文乃】就活が終わったけど今度は卒論に苦しむ大学4年生。最近部屋にミラーボールが欲しい。

【きょん】ことし社会人になったが、職場のジェンダー観と雰囲気が自分に全く合わず困っている。Lalineが大好き。

【sun】就活の不条理さに悩む大学3年生。最近好きな食べ物はたまごサンド。

 

 



文乃:何から話そうかな。

きょん:どうしよう、話す事がいっぱいある。

sun:私、実は今日駆け込みで観たてホヤホヤで。

文乃:お〜!じゃあいっぱい喋れるね!!

きょん:あら、じゃあまだ記憶に新しいんだね。

sun:めちゃめちゃ新しいです(笑)。あと情緒がまだ整理できてないです。

きょん:私も公開した時に映画館で三回観て今回はそれぶりなんだけど、すごい楽しみ。

序盤の二人のフラットさを考える

文乃:私、みんなに聞いてみたいことがあって。麦くんと絹ちゃんがお互いにどの辺を好きになったのかなって気になってる。どう思いますか?あの恋愛の形ってすごい今時だし私も共感できる所はあると思うんだけど。「自分と同じ趣味の人だ!」って自分と一緒なだけで好きになってしまうのってチョロいなあとか他にも理由ないのかなあとか考えてしまう。

sun:趣味もそうですけど、価値観とかに惹かれたみたいなところで、最初の方にありませんでしたっけ?

きょん:店員さんに感じいいなあとか、歩幅合わせてくれるなあ。とか。

sun:うんうん。

きょん:「ポイントカードだったらとっくに貯まっていて」ってやつ。後はやっぱり、趣味の合い方のレベルが尋常じゃなかったっていうのがあるかな。

sun:あの趣味の合い方の時点ですごい、特別かもしれないみたいな風にはすごい描かれていたと思うので、そこが一番大きかったんではないかと。

きょん:実際趣味が大衆受けする感じではないじゃん。

文乃:きっとそうだね。宝石の国とかゴールデンカムイ(今でこそ大人気だけど)とか、ちょっと変わり種というか刺さる人には刺さるみたいな作品を彼らは好んでるんだよね。

たしかに例えば鬼滅とかONEPIECEとかドラえもんとかが好きでそれで一緒だねっていうのとは結構一緒の時のインパクトが違うよね……。

きょん:麦くんも絹ちゃんもそういう自分が少なからず「人と違う」っていう風にはずっと思ってただろうし、それもあって、運命を感じたってことなのかなって思った。

文乃:なるほどねえ。それもあってか、なんか最初は「人と人」って感じで寄り添えて、お互い尊重し合えているんだよね。共感で繋がって。大学生の時はすごい人と人として、パートナーみたいな感じでフラットだったよね。でも大人になって就職してから凄い男と女!がしっ!って感じになっちゃったなって、思った。

きょん:最初の二人の関係性をフラットにしていたものがなんなのかって言うと、やっぱり文化というか共通する趣味だったのかなって思う。

sun:大学生っていう身分だったり、身軽さだったりも……。

きょん:っていうのもあるね。

sun:男女以前に、ただ同じものが好きな人同士だったってことですよね。

きょん:うん、それが彼らを結びつけていたし、彼らの関係性をフラットなものにしていたのかなっていう。

文乃:そうですなぁ。うん。大学生って身分は特別なんだなーってすごい思った。

sun:それはすごい思いました。

文乃:高校までも社会人になってからもすごいジェンダー規範に縛られるもんね。例えば男女で制服がある~とか、合コン~とかそういういろいろな事がある。でも逆に大学生活が終わったらもうフラットな関係を作れないんですか?って言ったら多分そうでもないと思うんですよ。そう信じたいよね。なんだろう、それじゃあ、なんか麦くんにはジェンダー規範に抗い続けるための適性がなかったっていうだけなのかな?社会人になってもそのフラットな関係で居続けるということに適性がなかったのかなって。

sun:うーん。麦くんも最初「現状維持が目標です」って言ってた訳だし、自分で変わりたいわけではなかったはずで。でも結果としてそうなってしまったというのは……なんでだろう。結局目の前のことを必死でやっていたらそうならざるを得なかったっていう社会の仕組みのせいなのかなって、私は思いました。結構誰でもああいう風になりうるよねっていうリアリティも感じたので。

文乃:なんかすごい資本主義に絡め取られているよね。

きょん:翻弄されてるよね?

sun:それは本当にそう。うん……。

きょん:あとは…彼らが大学生の自分たちがフラットな関係なんだよっていうことを、そもそもちゃんと具体的にわかってなかったっていうか。

文乃:あー。そっか、それは自覚しないと守りようが無いよね。

きょん:「(目標は絹ちゃんとの)現状維持です。」って言ったときにも、じゃあなんで今までそんな穏やかな関係で居られたのかなっていうところ、わかってなかったんだと思うけどね。

sun:いや、でも普通考えられなくないですか?

文乃:確かに。普通の人は考えないかも?ほら、なんか私たちみたいなゆるいフェミニストでも、社会一般よりは社会の物事についてアンテナ張ってる寄りの人じゃないですか。私たちは社会の問題に興味があるしサバイブしたいって気持ちを他人と比べて言語化しやすい傾向にあるので、多分色々と言葉にしたり言葉を探したりして今苦しい原因とかを見極めようとするんだろうけれど、麦くんとかは多分しなかったんだろうな。するという選択肢も多分なかったんだと思う。知らないから……

sun:私は正直、渦中にいたら考えられないかもしれない。しかも恋愛っていう個人的なことになってきちゃうと、もう。

きょん:私もそうだったけどさ、社会に出るってことがどういうことなのか分かんなくない?

sun:経験したこと無いですもんね。

きょん:そうだよね?みんな初めてだから、わかんないのは当然だよね。

文乃:そうだね。

 

二人の分かれ道はどこから?

 

きょん:あと私、公開した時に思ったのがさ。(「良い」人だったが実は恋人に暴力を振るっていた)先輩がさ、亡くなるじゃん。

sun・文乃:あーー!!!

きょん:なんかあの時の態度がもう二人で全然違うなって。

文乃:ほんとさ、それで別れるよね?

きょん:うん。それも絶対一つの溝だっただろうなって思う。

文乃:そうそう。なんかそういう別れ方というか、溝のでき方をちゃんと書いたのって花束ぐらいしか私知らなくて。そこがすごくいいなって思ったの。

きょん:違う人間だから、根本的に価値観が合わないっていうのは少なからずあるんだろうと思うけど、それ以上に二人は……社会とか労働とか、それこそジェンダーとか、そういう要素に揉まれて合わなくなっちゃったっていうのがわかるかなって……。

文乃:確かに。あとさ、なんかたぶん、あの二人がもし何かあった時に「分かり合えなくても話し合おう」ってなっていたら揉めてもなんとかなったと思うんだけど。

きょん:うん。

文乃:麦くんがさ、結構幼稚な性格してるじゃない?先輩が亡くなった時に二人とも一瞬話そうとしたんだけど、タイミングが合わなくて。翌朝改めて絹ちゃんが話そうとしてたけどその時には麦くんはなんかもうどうでも良くなって無視して出かけた、とかそういう所があるし。絹ちゃんが自分に寄り添ってくれないと、「もうお互いにダメだね」っていう感じだったのかなって思う。二人がもともと違うのは、やっぱ違う人間だし、しょうがないんだけど。違いを愛せなかったんだなって。

sun:あーそれはすごく私も思って……。よく言われがちな「恋人のダメなところまで愛せるのが本当の愛」じゃないですけど、この作品で麦くんと絹ちゃんが惹かれ合う理由って、彼ら彼女らの共通点に集約されすぎている感じがすごくて。最初から最後まで。

きょん:うん、そうなんだよ。もう最初に共通点があまりにも多くてね……。

sun:それはそこまで趣味かぶってたら好きになるよねって思うんですけど。

きょん:運命感じちゃうよね。

文乃:なんかね、そこまで共通点多かったら気になるし、テンション上がっちゃうのめっちゃわかるんだけど。ね、なんか違うところ、お互いに徹底的にダメだねって感じだから。難しいよね。

きょん:最初は一緒だったけど、だんだん違う風になってちゃったっていう部分も結構あるんじゃない?労働に対する価値観も、「フリーターでも好きなことが出来て、稼いで一緒に暮らせればそれでいいや」って最初はふたりで思ってたけど、麦くんが就活を始めたことによって変わっていって、お互いに「考え方が違うな」ってなる。それを愛せなくなったっていうか。「見て見ぬふりをしてた」じゃないけど。

そもそも(性格的に)違う部分が最初にあんまりなかったのかなと思った。最初から違いが見えてなかったみたいな感じではなくて、そもそも違う部分があんまりなくて、変化に対応しきれなかったっていうのが厳密に言うと合っているのかなって。 

文乃:そうだねえ。うん。

sun:変化っていうところで言うと、男女カップルにとってはお互い大学生で同い年でっていう同じ境遇から社会人になるっていうのは、もう否応なく違う世界の人になってしまうっていう意味で、すごく変化として大きいんだなって思いました。玄関先の二人の靴のカットが何回か映るじゃないですか。最初おそろいのスニーカーだった二人が本当に微笑ましくて素敵だった分、あれが革靴とフェミニンな感じの靴になって行ってしまう、っていうのがなんか、ちょっと辛かった。私は。些細なことなんですけど。

きょん:でもそれは些細なことではないと思う。結構象徴的に書いてるよね。

sun:あそこはそうですね。すごく象徴的ですよね。

きょん:あそこの描写から、社会の制約みたいなものがすごく感じられるんだよね。

文乃:そうだよね。モラトリアムで、社会の制約からある程度自由でいられる最後の時期って感じだもんね。大学生。

 

絹ちゃんの職場のしんどさ

きょん:個人的に「あぁ…」って思ったのが絹ちゃんの職場。簿記取って歯医者さん(かな?)で働き始めるわけじゃない。そこで「お疲れ様です~」って帰ろうとしたら、「八谷さんって(女子のノリに)乗ってこないよね」みたいなことをキラキラした女の子たちに言われて、行きたくないけど合コンみたいな場についていくっていうくだり。

文乃:うんうん。

sun:あー。

きょん:麦くんは麦くんで職場のキツさがあるけど……私の職場もそういう、絹ちゃんの職場みたいな雰囲気が有るから、わかるなって思ってしまった。

文乃:え、それはなんか女同士の同調圧力みたいな。そういうキツさなのかなあ

きょん:そうね…なんだろうね、女の子の中の序列みたいなのって、ないかな?

文乃:まああるよね。

きょん:学校とかクラスとか見ててもさあ、いろんなタイプのグループがあるわけじゃん。「絶対自分そこじゃないのに。」って思いながらなじめないグループにいるの。
絹ちゃんは合コンに行くタイプではないよね。普通にサブカルが好きでどっちかっていうと地味な感じの子だった。社会に出て、働けるからそこで働いたってだけで、自分が本当にここで働きたいと思ったわけではないじゃん。そういう先が、もう異文化交流みたいになっちゃうって所に私はすごい共感してしまった。すごい個人的なことだけど。

sun:絹ちゃんにずっとあった一面ではあるのかなって思います。最初の場面でもカラオケで馴染めないみたいなシーンがあって。

きょん:確かに確かに。最初はそれでも麦くんに出会えたからよかったけど、だんだん、社会じゃない個の自分の方を一緒に楽しめる人であるはずの彼がどんどん社会寄りになってっちゃって辛い…っていうのが共感してしまって、見てて心が痛かった。麦くん、あなたこっち側だったじゃん!!っていうね。

文乃:なんかさ、ねえ…合わないとかってあるよね。空気感がさ。

sun:もうしょうがないっちゃしょうがないですけど。でも、うん……

文乃:なんかさ、私たちのいる社会って、基本的には異性愛規範とかジェンダー規範がものすごく強いじゃない。女女してる職場とかさ環境とか、あるじゃん。女らしい女の人と男らしい男の人しかいないみたいな。で、なんかそれで多分絹ちゃんは最初の職場ではそれに上手く馴染めなくてしんどさを抱えていたんだけど、でも馴染めるような、ジェンダー規範が薄い職場だとお給料が低くなるみたいな。そういうのってあるんだろうな。

きょん:それがすごい言いたかった。めっちゃありがとう。

文乃:で、なんかそう。麦くんと一緒にいると、なんかあんまり女らしさを求められないから。多分最初は凄くリラックスした関係であったはずなのに、話の中盤で「自分にとって楽な、気持ちが落ち着く職場に行きたいんだよね」って言ったら自分が素でいられる相手であったはずの麦くんからキレられてしまう。そりゃもう、無理ってなるよね。

 

→後編に続く

サークルアイス読書会『読書から考えるトランスジェンダー』

 

サークルアイス 読書から考えるトランスジェンダー

こんにちは!サークルアイスです。
今回の企画は『読書から考えるトランスジェンダー』。
フェミニズム界隈でもトランスジェンダー、主にトランス女性への差別が顕在化してきてより深刻になってきている昨今。メンバーも、Twitterで共感出来る趣旨のツイートをいいねしたりRTしたりしていたら、実はそれがトランスヘイトをする人のツイートで、トランスジェンダーを差別する主張に繋がっていた…………という経験が何度かあり、これまでよりも差別が近づいてきたのを肌で感じ苦々しく思っています。

差別は悪意がなくてもしてしまうもの。それを防ぐのは知識と学び続ける姿勢しかないとサークルアイスでは考えています。ですので今回、メンバー各々でトランスヘイト問題への認識を深めるために、トランスジェンダーに関する本をそれぞれ選んで読み、紹介し合うことにしました。

読書会は2022年の10月4日(火曜)に開催されました。以下は、メンバーが選んだ本とその理由、感想や読書会で話したことや出た意見の紹介になります。

 

 

 

 

 

「オレは絶対に私じゃない トランスジェンダー逆襲の記」遠藤まめた著 (文乃)

 

私は今回の読書会で「オレは絶対に私じゃない トランスジェンダー逆襲の記」(遠藤まめた著)を選びました。 この本を選んだのは、私自身ノンバイナリーだと自分で思っていて、他のトランスの人はどうやって生きてきたんだろうとかを知りたかったから、というのがでかいです。

著者の遠藤まめたさんは、FTMのトランスジェンダーで、LGBTユースの居場所作りを行う一般社団法人「にじーず」の代表をされている、LGBTの権利のために尽力されている方です。この本には著者が日常を生きていく中で感じたこと(アクティビストとして、FTMとして、日本に暮らす日本人というマジョリティとして……など)がエッセイ形式で書かれています。

私がこの本を読んだ中で印象に残った箇所がいくつかあります。そのうちの1つは、「女同士だから分かち合える」訳ではないし、「女たち」と一言で言っても色々な人がいるのでそれを忘れると反差別を訴えながら差別することになる、と記述している場面で、その言葉に「確かに」と思いました。*1

女性として受ける差別や弊害はあれど、その被害や抑圧具合は本当に個人によってまちまちで、なんなら例えば生理の時だって、軽い人が「(自分は)薬を飲めば痛くなくなるから、生理痛で仕事を休むだなんて怠惰だ」と、本当は薬が効かないほど重たい人もいるのにそれが見えずに言ってしまう事がある。皆他人の痛みは分かりっこないし、気付かなくても生きていけることこそが特権だから、そこを忘れると最悪なことになるな、というか今SNSでトランスヘイト吹き荒れてるのってまさにそれだな、と思いました。

2つ目は、台湾の市役所のトイレが女子専用か性別不問かの二択だったという話*2です。私は普段、数が少ない特別な扱いを受けている多目的トイレを使うことに抵抗感を感じて女子トイレを使っているけれどビジュアルがメンズっぽくなる時には鉢合わせた女性にギョッとされた事が最近あって、「女子トイレダメならどこにも入れんけど……?」となったので、カジュアルに誰でも入れるトイレがあるのは良いなと思いました。

ただ、男女共用トイレを使う事への抵抗感は女性として社会に生きている人間としては誰しもうっすら有るとは思うんですけれど(サークル内でもどちらか選ぶなら女性専用だと答える方が多数でした)、それは男女共用だと隠しカメラ仕掛けられるリスクが高めだとかいう、性犯罪を軽視する社会の産物によるものだと感じているので、普通に同時進行でセキュリティの問題へのアプローチが日本では必要ではあるなと考えています。

 

「オレは絶対に私じゃない トランスジェンダー逆襲の記」 遠藤まめた著

 

「歌姫の仮面を脱いだ僕」ジェイク・ザイラス 著/藤野秋郎 訳(きょん)

 

私が今回選んだのは、おそらく今回の企画では唯一の語りの形がとられた作品です。フィリピンに生まれ、アメリカでスターダムにのし上がったトランスジェンダー男性シンガー、ジェイク・ザイラスの物語。彼がまだ女性として生きていた頃から、自分が望む自分を実現していくまでを語った作品です。

 

私はこの本を読むまで彼のことを知りませんでした。ですがもともとノンフィクションであったり、ひとの経験を聞くことが好きでした。そういう素直な言葉にこそ、社会のすがたは表れるものだと思うからです。トランスジェンダーの方の言葉をまとまった時間をとって読むいい機会だと思い、本屋さんで目に留まったこの本を選びました。

 

私はこの本と併せて、過去にNHKで放送されたドキュメンタリーも観てみましたので、こちらの内容も混ぜて、ここでは紹介します。

www.nhk.jp

 

印象に残った点としては、ジェイク自身、幼い頃からシスジェンダー女性の異性愛者として捉えられることへの違和感があったけれど、彼は幼少期に、「トランスジェンダー」という性自認があることを知らなかったと同時に、周囲への浸透も浅かった。このことから、「自分がトランスジェンダーなんだ!」と気がついてからも、自身を「レズビアン」として公表することで対処していた、という点です。

 

また、のちに性別適合手術を受けたことで、彼は人としてだけではなく、シンガーとしても完全に生まれ変わったという点も印象的でした。有名でない人であれば伴うことのない変化、他人からの強い視線がそこにあったのです。「シンガーとして」愛されていた、過去の声を失うということは、歌うステージやファンをも変えてしまうということ。歌っていた場所も、かつては大きなステージやテレビショーなどであったのが、カジノやレストランのショーなどへ変化しました。

 

アイスメンバーでは、「ジェイクのように、3度の自殺未遂をするほどに苦しんできた沢山の当事者の経験があるから今、カムアウトのハードルが少しずつ下がってきている。本当にカムアウトがしたい人、必要な人のために、変化してきている。未来に繋がっているんだね」という話をしました。

 

「トランスジェンダー問題」ショーン・フェイ著 (めの)

私は今回の読書会で、「トランスジェンダー問題」(ショーンフェイ著)を選びました。
この本は、当事者の経験する本当の「問題」を著者であり当事者であるショーンフェイさんが論じています。
Twitterでトイレ問題などが話題になり、私自身もいろんな言説が飛び交い悶々とする中で、この本が10月10日に販売されると知り、kindleで先に少し読みました。

 

この本を読んで印象に残ったところは、

メディアがトランス問題を論じようとするとき、そこでメディアは、私たちと一緒に彼らの問題を論じたいのであり、私たちが直面している困難について論じたい訳ではないのである。

という一文です。この一文を読んだ時に、わたしも当事者の問題よりまず先に論ずるべきではないところに注目していた自分自身の視野の狭さに気付きました。

 

また、イギリスで実際に起こったアウティングによる事件に対する著者の意見で、

たとえ彼女が違った仕方で格闘したとしても、メドゥスは公の人物でもなければセレブでもなかったし、そうなりたいと望んだことなど一度もなかった。彼女は長く自分のジェンダーとの個人的な苦闘を続けていたのであり、彼女の性別移行の決断は、誰に聞いても決して軽々しくなされたものではなかった。彼女は何をしたのか。トランスであること。自分自身に対して正直であること。彼女が得意だった学校での仕事、彼女に対してサポーティブだったその学校での仕事を続けること。それが彼女のしたことの全てだった。

という一文もすごく印象に残っています。ただ話題性のあるトピックとして家や彼女の職場まで押しかけたメディア、彼女の決断は尊重されるべきだったはずのものなのに世間によって自分らしく普通に生きることすらさせてもらえなかった、また、イギリスの若いトランスの45%が自殺を一度は試みたことがあると彼女だけが例外ではないことを考えると心が沈んでしまいました。

トランスの人々よりもシスの人々の方が権威を持ち、洞察力を有し、専門性を持っていると自動的に信頼される傾向にあるということである。そうした暗黙の、しばしば不公正な権威がこの本によって覆されることである。

普段の会話の中やネット上で何か議論が為される時、性別で判断しがちな人はまだまだたくさんいるけど、その人の性別は関係なく考え方でちゃんと評価されることが当たり前になってほしいです。

そして、メディアはただ話題性があるからといって取り扱ったり、トランスヘイトを助長させるようなものを積極的に取り扱ったりするのではなく、ちゃんと当事者の本当の問題と向き合ってメディアとしての役割を果たしてほしいと思いました。

 

「誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史」吉野靫著 (sun)

私が選んだ本は、 吉野靫『誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史』 李琴峰『ポラリスが降り注ぐ夜』 の2冊でした。

『誰かの理想を生きられはしない』は、著者である吉野さんの経験を出発点に、二元的な性別に当てはまらないトランス当事者が直面する性別二元論や、ジェンダーステレオタイプに基づく"らしさ"といった規範について綴られた本です。

私はこの本を通して、自分がどれほどトランスジェンダーという概念に対し今まで固定的な捉え方しかしていなかったかを気付かされました。(性自認の流動性も、現実に存在する親たちの困難も無視する、「子なし要件」の問題点さえ私は最近までわかっていなかったのです……)

男女二元論に基づいてトランスジェンダーを「"逆の性別"を自認しており、その性別の"らしさ"に完全に一致することを望んでいる人」として捉えることは、一見して飲み込みやすい理解なのかもしれません。 しかし、そうした二元的なトランスジェンダーへのイメージとそれに基づいておこなわれている医療が、どれだけ現実に存在する多様な生を抑圧し、その声を封じてきたか、ということに対して、私自身も含め今の社会はあまりにも無自覚で居すぎたと思います。

社会的につくられた規範から完全に自由になることは難しいことなのでしょうが、だからこそ吉野さんが述べるように「自らの常識や規範を超える存在を恐れるのではなく『慣れ』ていく」姿勢を持ち続ける必要があると感じますし、そうした姿勢を持ち続けて生きるというだけで、それらは既存の規範に対する抵抗になりうるはずだ、と強く思います。

画像

「ポラリスが降り注ぐ夜」李琴峰著 (sun)

『ポラリスが降り注ぐ夜』は、新宿二丁目のバーに集う多様な性的アイデンティティを持った女性たちを7つの視点から描いた連作です。

中でも6番目の「五つの災い」は、台湾出身のトランスレズビアンの女性が主人公の印象的な作品です。人それぞれに全く異なる性別移行やカミングアウトのあり方や、それに伴う切実な金銭的・精神的・肉体的な負担、レズビアンとしての恋愛への不安が丁寧に語られます。

また、別視点による「太陽花たちの旅」では、この女性に好意を抱くシスジェンダーのレズビアン女性の戸惑いが描かれています。全体として、ステレオタイプに囚われないトランス女性の生の現実を様々な角度から感じることができる、という点でも、とてもおすすめできる小説なのではないでしょうか。

 

ちなみに、この作品はメンバー内で他に読んだ事のある人もいて、総じて大好評でした!

画像

*1:「女同士だから分かちあえる」みたいなありがちなフレーズを、彼女(ベルフックス)はあんまり信じていない様子で、そこが気に入った。「女たち」とひとことで言っても、そこにはいろんな人種や階級、セクシュアリティの人びとがいる。そのことを忘れると、差別に反対しようとしながら別の人たちを差別するようなことが平気で起きてしまう。 (「オレは絶対に私じゃない トランスジェンダー逆襲の記」遠藤まめた著 p197)

*2:私が個人的に感銘を受けたのは、台湾の市役所で見つけたトイレだった。ここは、入り口が「女子トイレ」「性別不問トイレ」に分かれている。女子トイレのほうは、通常どおり個室が並んでいるのだが、「性別不問トイレ」の方は、さまざまな種類の個室がそろっている。なかをのぞくと、車いすの親子連れが入れる広めのトイレ、洋式の個室、男子小便器の個室がなどがあって、扉にそれぞれ便器のマークが貼ってある。元々はトランスジェンダーの存在を念頭に考慮されたそうだが、それだけではない。異性の介助者がいる場合や、娘を連れた父親が利用するとき、女性トイレが混雑しているときなど、さまざまなケースを想定して作られているそうだ。 「オレは絶対に私じゃない トランスジェンダー逆襲の記」遠藤まめた著 p170

3月企画:高畑勲「かぐや姫の物語」座談会【後編】

3月は高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を各自で鑑賞し、文章で簡単に感想や疑問点を共有した後に、作品について語り合う会を開催しました。前回に引き続き、その様子の一部をお届けします。

 

かぐや姫の物語あらすじ:

今は昔、竹取の翁が見つけた光り輝く竹の中からかわいらしい女の子が現れ、翁は媼と共に大切に育てることに。女の子は瞬く間に美しい娘に成長しかぐや姫と名付けられ、うわさを聞き付けた男たちが求婚してくるようになる。彼らに無理難題を突き付け次々と振ったかぐや姫は、やがて月を見ては物思いにふけるようになり……。(YAHOO!JAPAN映画)

 

【座談会】

かぐや姫のお化粧と私たち

しー🦕:容姿の美醜の話で思い出したのがsun氏の感想で書いてあったことなんだけど、「かぐや姫がお歯黒とか眉毛を抜いているってことを、前観た時は昔の女の人は大変だったんだなとしか思っていなかったけど、今観たら現代の女性の化粧と線引きできるものでもないなっていう気付きを得た」って書いてあって。

私は普段化粧はめんどくさいし、自分がやりたいって思ってほんとにやってるのかなって。いや(やりたいって言っている人が)やりたいって思ってやってるのは確かなんだけど、やりたいって思ってるってことの中にも規範っていうものがあって。

自分がやりたいんですって言いながらどんどん化粧品とかにお金も時間も使っていくっていう構造があるのをわかってて、私はすごくそこからもう離れたいなって思うし、化粧すると余計に自分の容姿が気になってしまったりとかして辛いから、化粧に違和感を覚えてるっていう立場なんだよね。

その立場からしたら、かぐや姫がやっているお歯黒とか眉毛とかを抜くっていうのは一概に同じことではないけど、現代の女性がやってることとまあ似たようなものだよねっていうのは自然に受け入れられる見方なわけ。

でも、sun氏は日常的にお化粧するわけじゃん。その立場からそういうふうに考えるのって、どういう気持ちなの?

sun🐧:あーーー……

きょん🦐:しーさんに限らず、お化粧をあんまりしたくないって人からすると、めんどくさそうとか、やだなって気持ちでこのかぐや姫のお歯黒とかと現代の化粧っていうのがつながってるんだよね。

でも多分、化粧を無条件に肯定してますっていう人は多分この空間にはいないであろうと私は思う。もしちゃんと肯定してますっていう人だったら、どう思うんだろうね。痛そうめんどくさそうとか……?なんとも思わないのかな。

sun🐧:それ(現代の化粧)とは別物って思うんじゃないですか?

きょん🦐:そうだよね、つなげては考えないんだろうなっていうのは私は思ったかな。化粧は義務じゃないし違う、くらいに思いそう。

私も化粧はするけど、完全にそれに肯定的な思いを持っている訳では正直ないし、しーさんが言ってたみたいなことを毎日(考えて?)お化粧するけど……考え方はしーさんの方に私も近いかなって思うよ。

sun🐧:私もそんな感じで、完全に自分の意志でしたいって思える時にだけ化粧するのが理想だなって思うんですけど、なんかそういう場面がどこからどこまでなのかっていう線引きというか、距離感を探り中って感じで。

きょん🦐:わかる。

しー🦕:どこからどこまでが自分の意志で、どこまでが規範なのかっていう。

sun🐧:まあそうなりますね……。

あとお歯黒とかがメイクと延長線上にあるんじゃないかって思った理由には、自分もその同じ時代でかぐや姫みたいな立場だったら(メイクみたいにそれを)やってたんじゃないかって思ったというのもあります。

きょん🦐:あーーなるほどね。違和感を覚えない訳ではないけど、やるかあ、って思ってやってたかもってことだよね。それは私もわかるような気がします。

 

帝、気持ち悪すぎ問題

しー🦕:あの人に対しては気持ち悪い以外の言葉が何も出てこないんだけど。

きょん🦐:うん、気持ち悪い以外の感情が…

いまsunちゃんの感想を見ててさ、バックハグは少女漫画だったらロマンチックな感じになるのに実際見たらこんなに気持ち悪いっていうのほんとにそれだった。

sun🐧:そうなんですよね。気持ち悪い場面なんですけど、いきなり抱きつかれるとかって少女漫画だとまあ普通にあるんですよね。

きょん🦐:壁ドンとかもその一種だよね。

文乃🐳:おかしいよね、あれでときめくの(笑)

きょん🦐:少女漫画のあれってさ、男が描いてる作品なら実際やられたらめちゃめちゃ気持ち悪いぞっていうのあったりするわけじゃん。それを少女漫画の女性の作家がいかにもそれを「強引なのって素敵!」みたいに描くのって、不思議じゃないけど変な感じ……

文乃🐳:なんかさ、少女漫画のヒーローってさ、だいたい主人公の事「お前」呼びしない?すごいむかつくんだけど。そういうのはなんなんだろうね。そういうふうにされて嬉しい人たちが読んでるのかな?

きょん🦐:なんかわかんないけどさ、少女漫画を読んでると男側に恋敵が出てくるわけじゃん、でもだいたい結ばれるのって「お前」呼びしてくる方じゃない?

文乃🐳:優しすぎて物足りないみたいな感じで振られるんだよね。

きょん🦐:いやいやいやって思うわ。

文乃🐳:男見る目ないわ~って思っちゃう。

きょん🦐:少女漫画の世界でそれが当たり前みたいになってるのに、ちゃんと気持ち悪いものとして描いてくれて、すごい…よかったなあって思う。

文乃🐳:なかなかないよね。

sun🐧:やっぱり「かぐや姫」は女性の感情みたいなものの描かれ方がリアル寄りなのかなって思います。

きょん🦐:題材は限りなくファンタジーなのにね、かぐや姫って。

 

男女、空飛びがち

きょん🦐:みんなは何かほかに疑問とかってありますか?

sun🐧:捨丸兄ちゃんとの、最後の場面の話がしたいです!
特に言いたいこととかはないんですけど、皆さんの意見が聞きたいなあって。ちなみに私は「ラ・ラ・ランド」の最後っぽいなあって思いました。

きょん🦐:あー、あれも飛んでるね確かに(笑)

sun🐧:きょんさんは「ポカホンタス」っぽいって書いてましたよね。ポカホンタス私見たことないんですけど……

きょん🦐:激似のシーンがあるから見た方がいいよ(笑)激似だよね?

しー🦕:うん、YouTubeにあると思う。

きょん🦐:手つないで飛ぶっていうのはクライマックスじゃないけど盛り上がりどころにありがちとかあるのかな。

しー🦕:え、ラ・ラ・ランドって手つないで飛ぶみたいなシーンあったっけ?

きょん🦐:ありますよ!なんかタイムリープしてミアがセブともう一度……

しー🦕:思い出した!(笑)とにかく男女の関係性を示すために空を飛ばすんだよね、

きょん🦐:男女空飛びがち。

しー🦕:まあなんか恋愛の夢ごこちみたいなのを示すためにやってるのかなとは思う。

きょん🦐:心のつながりみたいなのもあるかあ。

しー🦕:あともっと大人のメタファーで、性愛の暗示とか。

きょん🦐:うんうん。なるほどね。あと「ハウル」とか?ソフィーが最初空飛んでるのは違うよね。あれは別に飛んでないもんな……

文乃🐳:飛んでるけど雰囲気違う気がする(笑)

しー🦕:でも「千と千尋」でもあるよね!?

きょん🦐:そうそう!同じこと考えてた。でもあれはさ、喋ってるじゃん。

しー🦕:うん。

きょん🦐:でも心の深いつながりを表すのに、空飛びがち……。でもラ・ラ・ランド、ポカホンタスみたいに、喋らなくても通じる!みたいな意味では、かぐや姫はその系統なのかなって思った。

 

捨丸兄ちゃんはなんで手を離しちゃったの?

きょん🦐:あと、なんで最後の場面、捨丸兄ちゃんは手を離しちゃったんだろう……離さないって言ったじゃん!って文乃ちゃんも言ってたけど。

あれは月のせいなのかな?なんで手離しちゃったんだと思う?みんなは。

sun🐧:文乃さんが書いてたみたいに、捨丸がかぐや姫のことを理解しきれていなかったっていうのがいちばんしっくりくる気はするんですけど。

きょん🦐:捨丸、普通に待っててくれてるのかなって思ったら普通に結婚してたよね……

文乃🐳:それねー……普通に結婚して子供もできて、かぐや姫いなくても生活成り立ってる感じが。

きょん🦐:でもどうやったってかぐや姫とこれから一緒にはなれない……。捨丸兄ちゃんは離したくて手離したわけじゃないじゃん、きっと。ああ、みたいな。それはやっぱり月の作用だったのかな。

しー🦕:そうなんじゃないのかねえ。

きょん🦐:これでさ、離さないで!って言ったところでさ、もしこれで離さなかったらどうなってたんだろう。だって先見えなくない?

しー🦕:離さなくても、いずれもう引き離される運命なんじゃない?

きょん🦐:あー。妻も子供もいてもうどうしようもないじゃんっていう。

文乃🐳:しょうがないよね。

sun🐧:もう逃げるしか……っていう。

きょん🦐:そういう感じだよね。やっぱり夢だったんだなあって。だってもうそこで覚めるしかなくね?って思う。

しー🦕:夢だったのかなあ?

きょん🦐:そうするしかないから捨丸の手を離させて、夢から覚めるように、細工じゃないけど……

 

(2022年3月30日、ZOOMにて)

3月企画:高畑勲「かぐや姫の物語」座談会【前編】

3月は高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を各自で鑑賞し、文章で簡単に感想や疑問点を共有した後に、作品について語り合う会を開催しました。今回はその様子の一部をお届けします。

 

かぐや姫の物語あらすじ:

今は昔、竹取の翁が見つけた光り輝く竹の中からかわいらしい女の子が現れ、翁は媼と共に大切に育てることに。女の子は瞬く間に美しい娘に成長しかぐや姫と名付けられ、うわさを聞き付けた男たちが求婚してくるようになる。彼らに無理難題を突き付け次々と振ったかぐや姫は、やがて月を見ては物思いにふけるようになり……。(YAHOO!JAPAN映画)

 

【座談会】

フェミニズム映画だよねという話

きょん🦐:みんなSlackにあらかじめ、この映画に対して思った疑問点をあげてくれたから、今日はそれを一つずつ話し合うことにしよう。まずはしーさんがあげてたこれ。「なぜ高畑はこの映画を作ったのか」 

しー🦕:高畑の意図がどこにあるのかっていうのは別にして、このかぐや姫っていう映画は、フェミニズムを齧った人なら「これはフェミニズム的な映画だな」って解釈しやすい映画だと思うのね。

「いやフェミニズム映画ではない」って言う人たちの言い分としては「人間として生きることの苦しみを高畑は描きたかったんだ」っていうのがあるんだけど、だったら主人公を女性にしてお姫様としての苦しみを味わわせる必要はないじゃん。だから、高畑は絶対女性の人生とか生き方とか苦しみみたいなものを描きたかったんだと思うんだけど、「それは一体なんでだろう?」って思ったんだよね。

高畑の有名な作品の一つとして、「おもひでぽろぽろ」っていうのがあるんだけど、みんな観たことある? 

sun🐧:すごい昔に……。

きょん🦐:昔金曜ロードショーで観たぐらいだから……。

しー🦕:そうなんだ。私も金曜ロードショーで観たくらいなんだけど、好きで、テレビでやってるときは何回も観てたのね。

主人公のタエ子が女の子として生きるうえで経験してきたこと…例えば小学校で月経が始まったり、体育を休んだら「あいつ生理だぜ」って噂されたりした話が出てきて、最後は色々あって男性と結婚するみたいな話なんだけど。そのころから高畑は「女性の生き方」というテーマに注目してるんだなっていうのはわかるんだよね。

きょん🦐:ほうほう。

しー🦕:あと、高畑勲が直接制作にかかわってはいないけど日本語の吹き替えの監督を担当した作品で、『キリクと魔女』っていう映画があるのね。もともとフランスの映画で、それもすごくジェンダー論に関係している作品だなと私は思ったんだけど。なんでこの「かぐや姫」っていう作品で急にフェミニズム色が強い作品を作ろうと思ったんだろうって思って。 

きょん🦐:なるほど。

しー🦕:でも多分、その疑問に答えるのには、映画を解釈するだけじゃなくて、高畑勲の人生とかも知らないといけないから、今答えが出せるものじゃないのかなって思う。

きょん🦐:いやでもすごい知りたいことではあるなって思った。『おもひでぽろぽろ』観よ。

sun🐧:確かに、『おもひでぽろぽろ』の生理の話は私もそこだけ強烈に覚えてて、なんか高畑勲は女性の生き方というか、女性として生きてることの気持ち悪さみたいなのを描く傾向があるクリエイターっていう印象はありました。宮崎駿とかだと、出てくる女性像は理想化されている印象があるけれど…… 。

しー🦕:そうだね、宮崎駿は少女の理想化がすごいなって思う。理想化してるからだめって言いたいわけじゃなくて、私自身もその理想化された少女像にすごく惹かれている部分があるんだけど。でもそこが両者の違うところかなっていう。

 

なんで最初からお姫様の姿だったの?

しー🦕:あと、なんで(この映画の)かぐや姫って、最初(翁に発見された時)からお姫様の姿だったんだろう?

きょん🦐:最初からおじいさんに「この子は高貴(の姫君)になるんだぞ」っていうのを見せておけば、それを自然と押し付けて育てるようになるじゃん。現にそうなったし。

月の人々はそう育つことが辛いことだってわかってて、かぐや姫に罰を与えたかったっていう意図が元々あったから、最初にお姫様の姿をおじいさんに見せたんじゃないかなって私はちょっと思った。

しー🦕:あーなるほど!!

sun🐧:それが一番しっくりくるかも!

しー🦕:私はかぐや姫は元々月の存在で、いわば宇宙人のようなものなわけだから、地球の赤ちゃんがどういう形態なのかわからなくて、それをインストールするのに数分かかったから、最初お姫様の姿だったんだ、って考えたんですけど。ちょっとそれは馬鹿馬鹿しすぎるので…(笑)そうだね、きょんちゃんの説が正しいと思います。

 

なんでおばあさんのお乳が出るようになったの??

しー🦕:みんなは疑問に思ったこととか話し合いたいなってこととかありましたか? 

きょん🦐:しーさんも前に書いてたことだけど、私も(おばあさんの)お乳が出るようになったのは何でだろうって。月がそうしたんだと思ってたけど、考えると奥行きのある答えが出てきそうだなって思った。

しー🦕:「赤ちゃんが出来て母性が芽生えたから」って答える人もいそうじゃん。でも多分女性の生きる上での苦しみっていうのを描いているこの作品で、そういう描き方はしないだろうって私は思う。

きょん🦐・sun🐧:うんうん

しー🦕:だから月の超自然的な力でそうなったっていうふうに解釈するのが一番適切なのかなって思うけど。

きょん🦐:そうだよね。赤ちゃんが出来れば女は勝手に母になるみたいな、そういう考え方はしていないと思う、私も 。

文乃🐳:普通に竹からさ、金とか着物とか出てきたじゃん、それと同じ流れでお乳も出たのかなって思ってた。

きょん🦐:うん、私もそっち派です。

sun🐧:私もそう思ってたんですけど、もしおばあさんのお乳が出なかったらかぐや姫はほかのおうちにお乳をもらいに行ってた訳じゃないですか。だからおじいさんとおばあさんにより縛り付けるための母乳みたいな解釈もできなくは……ないのかなあって思ったんですけど。 

きょん🦐:「ほかの人にお乳を貰いに行こう!」って言ったところで母乳が急に出てきたみたいな感じだったよね、確かに。 

文乃🐳:そう考えると闇深いなあ……確かに月の方さ、お金くれたり着物くれたりして田舎からは(かぐや姫を)離そうとしてたよね。都会で高貴な暮らしをしろって感じで。

きょん🦐:月は最初からかぐや姫に、自由を奪われて高貴な女として生きることの辛さを身を持って感じさせるように仕向けてたんだなって……今になってすごくわかってきたよ。 

sun🐧:あそこでもらい乳に行ってたら、かぐや姫はもっとおじいさんとおばあさんに縛られずに、村の子として生きられてたかもしれない……?

きょん🦐:かもしれない。

文乃🐳:かもしれないよね。

きょん🦐:奇跡的な現象を次々と見せることによって、おじいさんをより思い上がらせるじゃないけど、早いうちから…生まれたときから「この子はなんか違う」っていうのをより強調させたかった、っていうのもあるのかもしれないよね。 

しー🦕:「ヘレディタリー」じゃん……。(※注 ホラー映画『ヘレディタリー』において、クレイジーな祖母が孫に自ら授乳しようとしていたことなどから連想して) 

 

かぐや姫と醜い女

しー🦕:で、これ私の疑問なんだけど、「かぐや姫は醜い女をどのように見ていたか」ってことなんだよね。

きょん🦐:あーでもそれは気になる。

しー🦕:貴公子に求婚された時に、その中の一人を試すために自分の身代わりとして自分より醜い女を置いて反応を見るっていうシーンがあるじゃん。私はそのシーンを観たときに「ほんとに性格悪いなこいつ」って思ったんだけど。

醜い女を置いて貴公子が驚いてるのをみてがっかりするっていうことは、かぐや姫は自分が美しいってことをやっぱりわかってるし、それで貴公子の誠意を試すっていう、その性根がなんか…やっぱり、単純な「囚われの姫」「かわいそうな被害者」ってだけじゃなくて、人間らしい汚い部分もあるんだな、って私は思ったんだよね。

きょん🦐:かぐや姫が泣いてたのって、もしかしたら一緒にいてくれるかもって思った貴公子が、それによって態度をころっと変えちゃったからなのかな。 

しー🦕:私はそう思ったけど。

だってかぐや姫って、お披露目の宴会の時に御簾の中に隠れてたのを、翁が他の男の人に「本当に綺麗なら見せてよ」みたいに言われてるのを聞いて、怒りが爆発して一夜にして爆走して故郷へ帰るっていうシーンがあったじゃん。だから、かぐや姫は自分の見た目とかを鑑賞物扱いされることに怒ってて、見た目関係なく愛してくれる人っていうのを探してたんだと思うのね。

だって見た目が美しいからって近寄ってくる男っていうのは、自分の事を愛してるんじゃなくてトロフィーだと思ってるわけじゃん。それが嫌だったからああいうふうに、『結局醜かったら愛してくれないんだ』ってわかって、泣いたんでしょ、あれは。 

きょん🦐:私はそれもあると思うし、そんなことをやってる自分もすごい嫌だったんじゃないかなって思ったけどどうなんだろう? なんで「こんなことやってんだろう」って思わなかったのかなって… 

しー🦕:あーー…どうなんだろ。 

sun🐧:私はどっちかっていうとしーさん寄りで、かぐや姫は自分が美しいのをわかってて、あのシーンはそれを罪悪感なく利用しちゃうような無邪気さみたいなのがぽろっと出たのかなって解釈してたんですけど、でもきょんさんが言うように思ってた可能性もありますよね、全然。 

しー🦕:その解釈もありえなくはないよね。でも自己嫌悪で泣くくらいなら、最初からやらないんじゃないかなって。 

 

もし内面だけを見てくれる人に出会えていたら?

sun🐧:確かに……でも本当に自分の内面を見て好いてくれてるのか確かめる手段って、あれくらいしかなくないですか? 

文乃🐳:もし本当に内面を見てくれていて、醜くても好きって言ってくれてたら受け入れたのかな? 

きょん🦐:それはちょっと気になる所ではある。

しー🦕:受け入れたんじゃないの? 

文乃🐳:求婚してくる人を全員退けたくて、かつその人たちが、自分が美人だから自分のことを狙ってるってことを知ってたから、醜い女を使ったのかなって思ってて。

試すためっていうか、退けるため? 

きょん🦐:あー、最初から断るって心を決めてやってたってこと? 

sun🐧:でも泣いてたってことは、「もしかしたら本当に内面を見てくれる人がいるかも」っていう期待もあったのかなって。 

 

かぐや姫と自分の美しさ

きょん🦐:かぐや姫は自分が美しいってことには気が付いていたのか。そりゃそっか、美しいって言われてたもんね。わかってたから美しくない人を自分の代わりに出すことが出来たんだもんなあ……。
かぐや姫って、そのことをポジティブに捉えてたのかなあ?いやそれはないか……。 

sun🐧:自分の容姿を利用していることに無自覚だった可能性はあるのかなって。

しー🦕:自分の蔑視感情に無自覚ってことね。 

sun🐧:で、それが自分の生きづらさにもつながっていることにも無自覚だったんじゃないかなと。

きょん🦐:かぐや姫が、美しくない女性を下にみていることに気が付いていない、ってこと? 

sun🐧:かぐや姫はそれ(美しくない女性は自分より下であること)を自然なことだと思っちゃってるっていう…でも実際にはそれは、かぐや姫が窮屈だって思っている、見た目で女性の価値を決めるような価値観そのものじゃないですか。結局逃れられていないっていうか。 

文乃🐳:綺麗に生まれちゃったんだからしょうがないじゃんって思ってそうではある。 

きょん🦐:かぐや姫はどう思ってたんだろう?自分が美しいってことに対して。 

文乃🐳:人がいっぱい来るから鬱陶しくは思ってそうなんだけど、でもなんか、名づけの宴の時に客に「どうせブスなんだろ」みたいに言われて怒ってたから、やっぱりなんか、美しくあることを悪くは思ってない気がする。ある程度自分の美しさにプライドを持ってるっていうか。  

しー🦕:そのシーンでかぐや姫が怒ったのって、自分の容姿を見世物にされてる感覚が嫌だったから、じゃない?自分自身の存在が人間として扱われていなくて、モノみたいに扱われたのが嫌だったんであって、「どうせブスなんだろ」って決めつけられたからじゃないんじゃない? 

文乃🐳:基本的にはモノ扱いされたのが嫌だったからだと思うんだけど…やっぱかぐや姫自身がそういう価値観から抜け切れてない部分もあるのかなって。

sun🐧:私はしーさんの言うように、自分の容姿を見世物にされてることに対する怒りかなって思ったんですけど。でも、自分の容姿の良さはそれなりに自覚しててプライドもあったんじゃないかなっていうのもやっぱり思う。それはさっきの醜い女房を利用したところからも言えるのかなって思います。

あとそういう、容姿ばかりに注目されがちなことを苦痛に思いながら、同時に容姿の良さにプライドも持ってるみたいな感情って、容姿を褒められがちな女性には普遍的な感情なのかもしれないっていうのも思いました。

しー🦕:そうなんだ。 

きょん🦐:前に書いた『いつかティファニーで朝食を』ののりちゃんの話と似てるかもしれない。のりちゃん自身はすごく自分が可愛いってわかってるし、それで男の人に色々評価されたりするのがすごい嫌なんだけど、実際若さとか美しさから離れるってなるとすごい抵抗感があるみたいなキャラクターで。 

しー🦕:なるほどね 。

きょん🦐:まとめると、かぐや姫は自分は見た目をジャッジされるのはすごい嫌だなって思ってるけど、自分の見た目が良いこととか、世の中の見た目に序列があることっていうのを利用するっていうのをやめることができなかった、っていう感じなのかな? 

しー🦕:利用するっていうか、自分自身は外見をジャッジされて、それで自分の価値を一方的に決めつけられるのは嫌だって思ってる。しかしその一方で自分でも他人を外見でジャッジしたりする価値観を少なからず内面化している。そして、その序列の中で自分が優位にあることを、悪くは思わなかったっていう感じなのかな。利用するっていうと言いすぎなのかなと思う。 

きょん🦐:確かに。高畑勲ってそこまで考えてたのかな?だったらすごいなって思うけど。 

しー🦕:そこを深掘りする映画ではなかったと思うけど、そこへの目配せみたいなものはあったかもね。 

 

(2022年3月30日、ZOOMにて)

 

11月企画:雑談・フェムテックに思うこと

 

その「サステナブル」、本当にみんなのためですか?

文乃:なんかさ〜、最近TLで見て気になってるんだけど、女性の生理用品だけ「サステナブルで素敵✨」って言われるのおかしいよね。老人用の介護おむつとか幼児用とかはそうは言われないのに……。あと、血って普通に危ないじゃん。衛生的に。トキシックショックとかあるし〜。それをわざわざ煮沸したり手洗いしたりして危険を冒して再利用することが「サステナブル✨」って持て囃されるの普通に女性の性を軽視してるからなのかな〜?って思ったりする。

sun: 一部で持ち上げられてるだけの話かと思ってたら使い捨てナプキンを廃止へって

言っちゃった記事が出てたんですね……。この記事は主にタイトルのつけ方が悪いのだと思うのですが。

元々女性の方が不妊とか子育ての心配をメインで背負ってきたから自然派なものを切実に求めがちで、そういうイメージの積み重ねとかも背景にあるのかな、とか思ったりはするんですけどね。幼児用布おむつとかはたまに持ち上げられても介護用は聞かないですし、主に女性が使う製品だけ安全性とか使い勝手どうこうの前にサステナブルと結びつけられがちというのは確かに感じるな~。

合う人は合うと思うんですけど、結局衛生管理をちゃんとする余裕がある人しか使えないものなんだったら、そこははっきり言ってほしい感はありますよね。

文乃:そうそう。フェムテックってすごい高価だしお手入れも手間がかかるから、金も時間もあって生活に余裕がある人のためだけのもの感あるよね。

sun:良い部分だけが独り歩きしてる感じはしますよね。

文乃:私、月経カップがエコで新しいって言って持てはやされてた時に流行に乗って買ったことがあるんだよ。当時は良いって言ってるレビューしか見当たらなかったし。

でも実際使ってみたら、使うための準備が手間で結局ほとんど使えないままミレーナに切り替えちゃったなぁ。新しい技術が生まれた時、すごい!って広がるのはまぁ良いことではあるしどんどん認知に努めてくれよとは思うんだけど、その一方でデメリットもちゃんと明示しないとフェアじゃないなあと思った。無条件で新しい!素敵!ってPRされがちだけど、便利さや安全面で言えばどちらかと言えば退化だよなぁ。ゴミ出ないしエコ…?ではあるんだろうが。そもそもサステナブルって今更じゃない?

sun:月経カップ、私もちょっと良いかなって思ったことあるんですが管理の大変さとかトキシックの報道とか見ると手が出ないまま今に至りますね……。

文乃:月経カップは入れられる時間が12時間で、タンポンの8時間よりも長い分、まぁまぁトキシックの心配が薄いとは思うんだけどねぇ。あーでもタンポンは使い捨てだけど月経カップはまた洗って入れるからその辺で危険ではあるのか。フェムテックって再利用する系多いけど、生理中って大体気力死んでるのにそんなマメに洗ったりして管理できる人っているのかなぁ

文乃:取りあえず、避難所で使えるよ〜って言ってる人も居て、嘘だろって思った記憶。綺麗な水で消毒して使わなきゃ危ないから……

 

生理をコントロールさせてほしい

sun:ぎゃ…流石にそれは極端な例だと思いたい…。余裕がある人の選択肢としては全然いいと思うんです。紙ナプキン使ってる人に罪悪感持たせるようなPRとか避難所云々とかは論外だけれど、生理についてオープンな場で語られるようになってきたという点だけでも、一応ましな状況に近づいてはいると思っていて。

文乃:たしかに。

sun:でも一方で、そもそも生理をコントロールするための選択肢の普及が全然進まないのがもやもやしませんか??承認とかの手間があるとしてもニーズはよっぽどあるはずなのに。さっき挙がったミレーナなんかも私は大学生になってからTwitterで知ったんですけど、それも関心があってちょこちょこ情報収集してたからってところもあって、一般的には全然知られてない実感がある。

文乃:わっっっっっかる。ミレーナ、私の場合、婦人科で生理しんどいんです〜って言ってもまずは高価だったりめちゃくちゃ苦かったりする漢方とかピルとか勧められて、ミレーナっていう選択肢が示されなかったんだよね。私もTwitterで初めて知って、行ってるとこでもホームページ見たらできるって書いてあったからやってってこちらから言えた感じで。

sun:なるほど…。私自身は実は生理は軽い方で行ったことがないんですが、婦人科ですらミレーナ提示してもらえないんですね…!? そんな現状じゃ痛み止めかピルしかないなら仕方ないか…って諦めてその二択で止まってしまう人がたくさんいそう。

文乃:そうなのそうなの〜!しかもさ〜、ピルだってめちゃくちゃ高いし、体に合わないの使うと副作用しんどいし、ミレーナも私たまたま保険適用だったから一万円で入れられたけど、でも日本だと麻酔しないで入れるのがデフォだし、子供産んでない人にやってくれる病院かどうかとか、子宮口のサイズによっては入れられない事もある〜とか、条件が色々あるし……。とにかくめちゃくちゃ狭き門って感じがするよね。需要絶対あるのに、よその国みてるともっと色々グッズ開発されてるのに、日本じゃなかなか入ってこないし。

普及してないし認知もされてないのが地獄み深いよねー

 

生理とポストフェミニズム

sun:この間しーさんがLINEのグルチャで話してるときに指摘してくれたことでもあるんですけど、そういう意味ではフェムテック含めて生理を巡る状況はポストフェミニズム・ネオリベ的な面が強いんだなぁって思っちゃいます。男女平等だよね!!女性も対等にバリバリ働けるし経済力あるよね!!っていう前提で、だから新しいものはどんどん買っていこうぜ的な雰囲気だけがあるというか。

文乃:そうだよね。健康な男と同じように週5で8時間労働をずっと繰り返して、その生活に順応できる人間を作るための「フェムテック」というか。そういう過酷な生活に順応できるのって生理が元々軽かったり、PMS無かったりして、色々身体的にも恵まれている人なんだろうな。だから、「女性のため」って建前でフェムテックが持ち上げられつつも、本質的に女性の生きやすさとか過ごしやすさに寄与するようなものはあまり無いのかな……とか思ってしまう。

sun:ほんとにそうで、フェムテックにお金を出すことは推奨されがちだけど、例えば望まない妊娠をして貧困に陥ってしまうような、環境のことなんて考える余裕のない女性の存在はそこには想定されていないんだろうなって思うし、そもそもバリバリ働くための生理への選択肢がなかなか増えてくれていない。インプラントとか避妊パッチの存在を知った時は何それSFの話じゃなくて…??って思っちゃいましたもん。

なのに日本ではジェンダー問題は余裕のある人の趣味なんでとか言われてずっと後回しにされてるっていう…。ナプキンすら未だに軽減税率にならない辺りがもう象徴的ですよね。

文乃:それな!!????ナプキンとか生理用品、女性の身体でいる限り絶対になきゃ困る必要なものなのに、軽減税率じゃないの本当におかしい。好きで毎月垂れ流しているとでも思ってるのかな。女性の政治家も少ないし、多分その辺なにも考えずになんとなくで軽減税率にされなかったんだろうけど、真面目に考えれば必要なものだって分かるはずだから、ちゃんと真面目に考えてほしい。今からでも軽減税率できるだろ。

sun:私たちが求めてるのっておしゃれでサステナブルな便利グッズとかの前に、生理に対するもっと色々な選択肢とか支援とか、女性主体の避妊方法の普及とか、そっちなんですよね。

志を持ってフェムテック開発をやっている人は立派だけど、もっといろいろな人たちに届くような根本的な対策が出てこない辺りに構造の問題があるというか。

文乃:うん。ほんとに実情に沿ってないんだよね~。虚しすぎる。途方もない虚無感がすごい。本当に切実な問題だし人生の質に関わってくるから、早急に解決して欲しいんだけどね。

 

 

 

☆他メンバーの感想

しー: 女性主体の避妊方法の話が出ていたけど、男性の避妊方法がコンドームか不可逆的なパイプカットしかない現状で、女性主体の避妊方法(ピル、パッチ、インプラント、注射など)ばかりを推すことが本当にフェミニズムだと言えるのか?という問題もあると思う。

妊娠し得る身体としない身体がある以上、両者が負うリスクや負担は平等にはなり得ない。それにも関わらずヘテロセクシャルな世界では、ペニスをヴァギナに入れる性行為が「やって当たり前」のことになりすぎているし、「女性主体の避妊を!」と主張するときもペニスをヴァギナに入れる前提になっている。その中で、妊娠のリスクを負ってまで自分のヴァギナにペニスを入れたいと本心で思ってる人は、どのくらいいるのかな? そういったセックスの形や、「歴史的に誰の欲望が優先されてきて、今もその誰かの欲望ばかりが優先されてはいないのか?」という視点から根本的に問うていくことなしに議論を進めるのは、危険なことだと思う。

私とポストフェミニズム【神聖化される女子高生】(文乃)

f:id:CircleICE:20211207181725p:plain


私が女子高生だったとき、「JKブランド」という言葉がよく使われていた。
どうしてだかはよく知らないが、女の中では女子高生が一番価値が高いらしい。

大学生になっても周りの女子学生は高校の時の制服を着てディズニーランドに遊びに行くし、ポカリスエットの青春を表現するCMでは毎度制服を着た少女が主役として動く。
ボーカロイドを使ったYouTubeの曲は、制服を着た少女を主人公にした歌ばかりだし、なんならその歌い手であるボーカロイドだって、頻繁に使われている初音ミクも鏡音リンもそれぞれ16歳と14歳の子供たちで、制服を模したデザインの服を着せられている。
Vtuberのキズナアイは17歳の設定で、やっぱり制服みたいなデザインの服を着ているし。
ここまで列挙してきたけれど、どうしてこう、制服を着た少女にものを語らせたがるのだろう?みんな。
という疑問意識がずっとある。

 

制服が神聖化されている

菊池夏野氏の論文に、以下のことが記述してあった。

そもそもポストフェミニズム文化において、少女は女性の中でも最も強力なアクターとして位置づけられているのである。マスメディアによって男女の格差や差別が論じられるとき、少女は差別を変革する主役として表象され、少女に対する運動や制作が重点化される。

上に上げたポカリスエットのCMもYouTubeにあるアニメーションのMVも、Vtuberも、皆無関係ではないはずだ。
そして、それを作る制作者たちだけがそう思っているのではなくて、それを消費する私たち、当の女子高生や女子高生だった人もその影響を受けて「女子高生は無敵」だと思っているのだろう。
実際、私も当時思っていた。「女子高生が一番価値がある」。

価値があるって、なんだろう。

誰にとっての価値なのか。
それは、その若さや性的魅力を消費する人間にとって価値があるのであって、それを表に出したって、私たちは幸せになれないし救われもしない。
ただ搾取されまくって、ズタズタでボロボロになるだけなのだ。

制服が性的搾取される

女子高生の頃、SNSでは偶に知らない男から売春を誘うDMが届いた。

「いくらでやれる?」
「会わない?怪しい人間じゃないよ」

自分はモテているのだと喜ぼうとした。でも全然嬉しくないし、怖くてたまらなかった。
その性的魅力を使ってのし上がれるかも、お金に換えられるかもと思ったこともあった。でも、そうやって性的な誘いを知らない男から受けるたび、心は凍てついていく一方で、全然幸せになれる気がしなかった。

漫画「さよならミニスカート」では、自分の性的魅力を利用してのし上がろうとするキャラクター・長栖未玖が登場する。
未玖は主人公でフェミニストとして描かれているキャラクター・仁那との性的魅力の使い道についての議論で「私は何も与えてやらない。この世界を通して奪う側に立ってるだけよ」と言うが、仁那から自分を性的搾取しようとしない同級生に安堵し恋愛感情を抱いていることを指摘される。「何が『奪う側』なの。長栖さんはいつだって奪われてばっかりじゃない」と言われてしまう。

性的魅力で幸せになることは出来ないし、搾取されて心が荒むだけだ。性的魅力を高めようと未玖のように搾取しようとする側におもねって、自分の心の痛みには目を瞑り「大したことじゃない」と矮小化していくうちに、どんどん己を失っていってしまう気がする。

制服に価値なんて付けるなよ

女子高生はただの子供だ。

性的アイコンにしないで欲しい。性的アイコンじゃなくても、「無敵」扱いしないで欲しい。

ポカリスエットのCMなどで制服を着た少女を主役にした物語が作られるのは、女子高生が言った方がインパクトがあって、すごいねって注目を持たれたり、聞く耳を持って貰えたりして最強のカードだからだ。男子高生が言うよりも女子高生が言う方が「華がある」し「注目もされる」。でも、女子高生はただの子供だ。

高校生の頃、自分のことをある程度分別の付いた、ほとんど大人でまだ成人してないだけの人間だと思っていた。大人扱いされたかった。でも本当は、そういう心の隙間が大きくて子供だからまだ迂闊で、ただ騙しやすくて使いやすい、搾取する側の大人にとって都合がいいだけの子供だと、大人になってから気付いた。
ただの子供だった。特別視しないで欲しい。

子供をちゃんと子供として扱って、守ったり適切な支援の手を差し伸べられたりする文化がいい。元女子高生だった私はそう思っている。
これが、制服を着た少女を特別視して持ち上げる、ポストフェミニズムの弊害だと思っている。