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私とポストフェミニズム【神聖化される女子高生】(文乃)

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私が女子高生だったとき、「JKブランド」という言葉がよく使われていた。
どうしてだかはよく知らないが、女の中では女子高生が一番価値が高いらしい。

大学生になっても周りの女子学生は高校の時の制服を着てディズニーランドに遊びに行くし、ポカリスエットの青春を表現するCMでは毎度制服を着た少女が主役として動く。
ボーカロイドを使ったYouTubeの曲は、制服を着た少女を主人公にした歌ばかりだし、なんならその歌い手であるボーカロイドだって、頻繁に使われている初音ミク鏡音リンもそれぞれ16歳と14歳の子供たちで、制服を模したデザインの服を着せられている。
Vtuberキズナアイは17歳の設定で、やっぱり制服みたいなデザインの服を着ているし。
ここまで列挙してきたけれど、どうしてこう、制服を着た少女にものを語らせたがるのだろう?みんな。
という疑問意識がずっとある。

 

制服が神聖化されている

菊池夏野氏の論文に、以下のことが記述してあった。

そもそもポストフェミニズム文化において、少女は女性の中でも最も強力なアクターとして位置づけられているのである。マスメディアによって男女の格差や差別が論じられるとき、少女は差別を変革する主役として表象され、少女に対する運動や制作が重点化される。

上に上げたポカリスエットのCMもYouTubeにあるアニメーションのMVも、Vtuberも、皆無関係ではないはずだ。
そして、それを作る制作者たちだけがそう思っているのではなくて、それを消費する私たち、当の女子高生や女子高生だった人もその影響を受けて「女子高生は無敵」だと思っているのだろう。
実際、私も当時思っていた。「女子高生が一番価値がある」。

価値があるって、なんだろう。

誰にとっての価値なのか。
それは、その若さや性的魅力を消費する人間にとって価値があるのであって、それを表に出したって、私たちは幸せになれないし救われもしない。
ただ搾取されまくって、ズタズタでボロボロになるだけなのだ。

制服が性的搾取される

女子高生の頃、SNSでは偶に知らない男から売春を誘うDMが届いた。

「いくらでやれる?」
「会わない?怪しい人間じゃないよ」

自分はモテているのだと喜ぼうとした。でも全然嬉しくないし、怖くてたまらなかった。
その性的魅力を使ってのし上がれるかも、お金に換えられるかもと思ったこともあった。でも、そうやって性的な誘いを知らない男から受けるたび、心は凍てついていく一方で、全然幸せになれる気がしなかった。

漫画「さよならミニスカート」では、自分の性的魅力を利用してのし上がろうとするキャラクター・長栖未玖が登場する。
未玖は主人公でフェミニストとして描かれているキャラクター・仁那との性的魅力の使い道についての議論で「私は何も与えてやらない。この世界を通して奪う側に立ってるだけよ」と言うが、仁那から自分を性的搾取しようとしない同級生に安堵し恋愛感情を抱いていることを指摘される。「何が『奪う側』なの。長栖さんはいつだって奪われてばっかりじゃない」と言われてしまう。

性的魅力で幸せになることは出来ないし、搾取されて心が荒むだけだ。性的魅力を高めようと未玖のように搾取しようとする側におもねって、自分の心の痛みには目を瞑り「大したことじゃない」と矮小化していくうちに、どんどん己を失っていってしまう気がする。

制服に価値なんて付けるなよ

女子高生はただの子供だ。

性的アイコンにしないで欲しい。性的アイコンじゃなくても、「無敵」扱いしないで欲しい。

ポカリスエットのCMなどで制服を着た少女を主役にした物語が作られるのは、女子高生が言った方がインパクトがあって、すごいねって注目を持たれたり、聞く耳を持って貰えたりして最強のカードだからだ。男子高生が言うよりも女子高生が言う方が「華がある」し「注目もされる」。でも、女子高生はただの子供だ。

高校生の頃、自分のことをある程度分別の付いた、ほとんど大人でまだ成人してないだけの人間だと思っていた。大人扱いされたかった。でも本当は、そういう心の隙間が大きくて子供だからまだ迂闊で、ただ騙しやすくて使いやすい、搾取する側の大人にとって都合がいいだけの子供だと、大人になってから気付いた。
ただの子供だった。特別視しないで欲しい。

子供をちゃんと子供として扱って、守ったり適切な支援の手を差し伸べられたりする文化がいい。元女子高生だった私はそう思っている。
これが、制服を着た少女を特別視して持ち上げる、ポストフェミニズムの弊害だと思っている。